こんばんは。
kabkiです。
このブログを読んでいただきありがとうございます(⌒∇⌒)
今日は、最近も書いている、問題に対して私たちがどのように焦点をあてるかについてのエイブラハムの言葉を紹介します。
昨日、誰が聞いても酷いと思う事に対してなのですが、めちゃくちゃ文句を言いまくって、そこから抜けれないでいる方を目の当たりにし、
一番いい方法でその方が望む事へ、解決の波動にもっていくための焦点の当て方を、エイブラハムの言葉で見直していきたいと思ったので書いてます。
エイブラハムの言葉
『自分自身を独立した別個の存在とみなしてもらいたい。自分を正当化しようとせず、自分が提供する思考によって今の人生の出来事を引き寄せていると考えるのだ。
もしも、あなたが、何かに抵抗し、恨みに思うなた、思えば思うほどその物事をしている人に加担することになる。
自分が感じている事を正当化する必要はない。
感じていることは感じている事。
自分が望んでいる事に注意を向ける。
望んでいないものに向けた注意を引っ込めて。
どんな状況化であれ、どんなに努力しても、あなたから自由を奪いとれるものはいない。
もし、他人の言葉を煩わしく感じるのなら、あなたは自由ではない。
他人の言葉に悩まされているなら、その言葉にあなたは縛られている。
いいかえれば、
あなたは、自分自身の経験より他人の言葉によって影響される部分が大きいと言う事だ。
全てのことに、あなたは絶対的な選択の自由を持っているのだ。
何を聞き、何を話し、何を考え、何に注意を向けるかの選択の自由、完全にあなたのものである自由を行使し、永遠に幸せに生きてもらいたい。
あなたがたが自分の自由を侵害されているとみなすのをやめ、つまり、自分が望むものが欠けている事に注意を向けるのではなく、望むことに注意をむければ、問題とおもっていた物事が変わっていくのを目の当たりにするであろう。
もし、あなたが、自分を気持ちよくさせれくれるものに、焦点を当てる人間なら、問題や困難に焦点をあててばかりいる人間よりも、宇宙や社会にとってはるかに貴重な存在だといえるだろう。』
エイブラハムの言葉
『私たちは、欠けている部分をみて、他の人に自分の意図を押し付ける事はできない。そんな事をすれば、自由ではなくなるからだ。
自由とは、「内なる自分」としっかり繋がり、自由をかんじていれば、自分がしている事の正しさを他の人に納得させなければならないという感覚は、消え失せる。
自分を正当化したいという欲求がなくなるからだ。
あなたが、自由であれば、どのような状況下でも、自分がなりたいものになれる自由を持っていて、他人がそれをどう思おうと実際に気にしない。
広い視野からみつめてもらいたい。 』
私たちは、自分の正義を他に人に押し付ける事はできない、例え家族でも友人でも、誰の自由も奪えない。
それをすれば、自分が自由ではなくなる。
この視点で見たときに、家族が身近な人にその人の為だといって、自分が正しいと思う事をさせようとしたら、
あなたの為と言いながら、エネルギーでいえば、「あなたは間違っている」という、今のその人を否定を載せている事に気づかされると思います。
この話は、日常の小さなことのようで、
他者を自分の正しいと思うことに変えようとするというあり方を、
今、この焦点の当て方を変えていく時期なんだと、最近そういうメッツセージを受け取っています。そうは言っても、「これはありえない」「ひどすぎる」と思う物事に直面すれば、反応するし、そうは言ってられないのではありますが、深呼吸でして、自分をいい気分にしてあげてから、内なる自分とつながり広い視点で、みれたら、思ってもない流れになるはずです。
自分自身のありのままを受け入れ、相手のありのままを受け入れて自由を尊重しあう関係を社会をつないでいければ、喜びでつながる社会になります。
自分で自分を被害者にしない。誰あのせい・・と、いう時点で自分にパワーがないという事を自分で認めている状態だからです。私たちは、どんな時も自分で自分の望むようにいくらでもなれる自由があります。
自分は完全に自由で、なんでもできる。
自分を信頼してどんな自分もオーケーしてあげる事が、つくづく本当に大事だと思ってます。
私は、
問題であることを、ニュースでみたり、聞いたりしたときに、
深呼吸して、内なる自分とつながって、広い視点で物事をみていきたいです。
ありがとうございました。
愛をこめて
kanki